活動・お知らせ紹介

にょふマニア向け!優香にょふの歴史(誕生〜幼少〜学生編)

活動・お知らせ
優香にょふ
優香にょふ

おはにょふ!はろにょふ!こんばんにょふ!優香にょふですq(´・ω・`)p
今回は自分のこれまでの歩みを深掘りしていきます!
先に大まかなプロフィールを読んで頂く事をオススメします❤︎

優香にょふ誕生

グンマー帝国(群馬県)にて、誕生。
平成ゆとり世代代表。

生後間も無く「川崎病」を発症。
“あと一歩遅かったら手遅れだった。by 医師”

即手術、危機一髪!無事に回復しました!
(現在、後遺症なし)

幼稚園時代

マーチングが有名で、練習が鬼レベルに厳しい幼稚園に入園。

パートを決める際、オーディション?のようなものがありテキトーに鉄琴か木琴系を希望し、テキトーに叩いたらダメだったらしく、結果小太鼓をやることに。笑

この頃から
パーカッションとの縁が始まりました!

2枚目は家族写真ですが、サッと人の前に足を出してポージングするあたり

「自分がナンバー1」という思考が根付き始めます。笑(自己肯定感強め)

“末っ子だから可愛がられる存在だ”と知り、家庭は自分中心で回っていると思いながら生活をしていたのをよく覚えています。笑

この時代のまとめ
  • 初めてのマーチング(パーカッション)デビュー
  • 自己肯定感の形成が始まる

小学生時代

全く算数ができず、小1の時点で
“自分は算数が苦手”と気付く。笑

高学年になると「反省」と「改善」が出来る様になり、人気な女の子を真似しながら
“初めての自分革命”が始まります。

体操が得意だったので、みんなの前で見本としてやらされる事が多く終始ドヤ顔。笑
(やはり当時から自己肯定感強め)

厳しくて辛いながらもスイミングスクールに通い、チビなハンデがありつつも、水泳大会では
背泳ぎが市で5位に入賞。

「ライバルの事は考えず、ただひたすらに自分の目標を唱えながら、懸命に泳ぎ続けたら結果が出た。」 という経験は、

後に自分の人生において大きな存在となり
自分の生き方のスタイルの基本となるものでした。


講師だったイケメンお兄さん(もしかしたら初恋だった?w)に「才能ある」とおだてられ
水泳選手になろうと決意。

加護ちゃんにどハマりし、髪型やしぐさ、何でも真似する。
モー娘。のオーディションを新聞で見て、気になっていたのに応募しなかった自分が今でも悔しい。笑

この時代のまとめ
  • 算数は自分には向いていないと気付く
  • なりたい自分を描き、初めての自分革命を行う
  • 水泳大会で市で5位になり、ひたすら真っ直ぐ目標を目指す事の大切さを知る。

中学生時代

派手な友達とも地味な友達とも付き合い
友達は多くお笑いキャラ。
(いわゆる陽キャ)

休み時間には相方とみんなの前で即席コント。笑

超絶イタズラッ子で、先生をよく困らせてました。
(今となってはもう土下座レベル)

水泳は体がゴツくなるetcの理由で結局
新体操部へ入部。

朝練に午後の部活に塾に大忙し!
帰宅すればカバンを背負ったまま爆睡してしまうほど、ハードな毎日でした。

初めての携帯(ガラケー)GET。
友達とギャル文字でメールを送り合う(懐かしw)

人生初のカラオケで、先輩に歌を褒められ

“あれ?自分って歌上手いんだ?”と知り
元々好きだった歌に自信を持つ。

卒アルに書いてあった夢は
「テレビに出てみたい」

この頃からやんわりと
歌手や芸能に憧れを抱いていたみたいです。

この時代のまとめ
  • お笑いとイタズラ好きの陽キャ。
  • 新体操部へ入部し、ハードな日々を送る。
  • 歌を褒められ、自分の歌に自信を持つ。
  • ほんのりと芸能界への憧れを抱き始める。

高校生時代

群馬でも断トツに規則が厳しい、商業高校へ進学。
吹奏楽部へ入部し、幼稚園時代の名残?パーカッションを担当。

野球部が甲子園へ出場することになり
急遽出来たチアガール部に期間限定で参加。
ダンスが得意だったので、メンバーの指導役として任命される。

当時、ロックバンドやビジュアル系ブームに超影響され
髪型も持ち物も服装も全て、奇抜なロック色に包まれる日々。

そんな激しい音楽が好きになりだしたので、吹奏楽の音楽では物足りず1年で辞め
軽音楽部へ転入。バンドを組む。

いつも脳内はバンドのことで一杯。
バンドに全ての青春を捧げました。

全校生徒の前でギターボーカルでライブをする機会があり
今まで否定的だった生徒指導の怖〜い先生(ボス)に

「お前らの演奏、録音しとくからな。がんばれよ」
と言ってもらえた時はメンバー全員で感動!!

“認めてもらうことの嬉しさ”
を知りました。

当時から自分で作詞作曲をしていましたが

高校2年生(17歳?)で作った処女作
「一零、うさぎの涙。」が
高校生バンドフェスティバルで準グランプリ。

こちらの3曲目です(リメイク版)

「音楽しかやりたくない!」
状態だったので、迷うことなく

東京の音楽専門学校への進学を決意。

この時代のまとめ
  • ロックや激しい音楽にどハマり、バンドに全ての青春を捧げる。
  • 否定的だった先生にエールを贈られ、認められる事の嬉しさを知る。
  • 人生初のオリジナル曲で、高校生バンドフェスティバル準グランプリ。

音楽専門学校時代

さ。ついに東京進出!!
専門学校ESPミュージカルアカデミー
(シンガーソングライターコース)へ進学。

いやー、入学当初は派手でしたね。笑
超絶厳しい高校ライフだったので、その反動です。
髪の毛半分金髪、半分茶髪だったり。。
(・・まあ、そういう時期でしょう!笑)

ESPは高田馬場にあるギターのメーカーの学校。
学割が効くので、毎朝電車でグンマーから通っていました。

ボーカルレッスンはもちろん、作曲や全ての楽器演奏の授業など盛り沢山。
真剣に音楽を勉強したかったので、毎日休まず通い、出席率は96%!
沢山の知識や技術を学べて、とても実のある2年間でした。

学校内でもバンドを組み、ひたすらバンド生活。
しかし、メンバーの遅刻、課題忘れなど、徐々に活動のストレスや悩みも募り。。
「あー!!バンドめんどくさ!!」

と爆発した結果
「もう、一人でやるしかない」

という考えに行き着いたのが、ソロ活動の始まりでもあり
現状の”セルフ活動”の発端でもあります。

それから初めてのパソコン
Mac Bookを購入し、DTMを始める。

DTMの授業はなかったので先生に聞きに行ったり
DTMに詳しい隣の席の子に教えてもらったり。。
とにかく必死でした。

そのおかげでどんどん作曲技術が身につき、ソロでの活動が始まります。

この時代のまとめ
  • ESPで沢山の音楽ノウハウや技術を学び、実りある学校生活だった。
  • バンド不調をきっかけに”一人でやるしかない”と決断。
  • 初めてのパソコン、DTMデビューをし、独学で勉強しまくる日々。
マメモヤ子
マメモヤ子

ふう。ここまでが学生時代かあ〜
どんな青春時代だったか、よく分かったにょふ。

優香にょふ
優香にょふ

読んで頂きおつありがにょふ♪
お次は成人になってからのお話です〜!

コメント

タイトルとURLをコピーしました